何かしようblog

来世はきっとたれぱんだ

家族が失踪しようとしている①

 

ここに書くべきか、このこと自体を書くか迷ったが、記録も兼ねて書いておく。

新しくnoteなどを作っても、更新がおろそかになることが目に見えているからだ。

 

 

「家族 失踪」などで検索をかけてみると、どれも失踪後のことを書かれている。

自分の気持ちの整理と、今後同じ立場の人がいたら…何かしら役に立てばと思う。

仮に本当にいなくなってしまったとしても、忘れてしまいたい訳ではない。

 

 

家族というのは、兄だ。

毎日LINEで連絡を取るくらい、仲がいい兄妹という自負はある。

 

 

兄は順調に失踪の準備をしているようで、

LINEの既読は事務的な連絡がある時につくだけとなり、

私や母からのメッセージはろくに見ていないようだ。

 

 

いつの間にかアイコンの画像も消えた。

一言コメントにも拒絶のメッセージ。

電話も出ない、SNSも閲覧できない状況になった。

 

 

母兄私のトーク部屋で「もういい」と言ったのは、2020年9月23日水曜日の0時31分。

ここでふとスイッチが入ったように、兄は崩れ出した。

 

 

恥ずかしながら、兄と私は思考回路があまりにも似ている。

私は「ああ、これはマジなやつだ」と感じた。

ああ、もう本当に生きていたくないのだと。

 

 

死にたいというより、

「生きていたくない」「漫然と生き続ける苦痛」

「当然のように過ぎていく時間が、この先も永遠に続くのかという絶望」

という方が正しいように思う。

かつて私もこういった考えで、日々を過ごしていたことがあった。

 

 

母は最初、この言葉を重く受け止めていなかった。

伝わらないのかと、それにもちょっとだけ絶望した。

私はあの言葉がぐるぐると頭に回って、情緒が乱れに乱れた。

元より不安感が強い性格なので、ふとした時に涙がぼろぼろと出る。

 

 

私なりに追い詰めない言葉を尽くしたが、既読がつかない日が数日。

既に首を吊っているのではと躊躇いながら電話をかけたが、留守電になった。

起床時に芸能人の竹内さんの訃報があり、さらに現実的に感じられたのかもしれない。

 

 

このあたりで母も異変に気付き出したらしい。

私はというと一周回って気持ちが凪ぎ、ただただ呆然としていた気がする。

 

 

その後、兄から一方的な連絡が来ることは何度かあった。

どれも絶望的なものばかりではあるが。

 

 

失踪を止める術はあるのだろうか。

消息不明が現実になる日も近いと思う。

大事に思うからこそ、ただただ縛り付けて生かすのは違うと思うのだ。

 

 

あの日みたいに何かのスイッチが入ったかのように、

「やっぱり生きます」と言ってくれればいいのに。

 

 

仕事だけはギリギリまで行くと言っていたが、誰も異変に気付かないのだろうか。

遠方に住んでいることがもどかしい。会って止められる自信もないが。

生死はともかく、どこか安らかに生きられる場所を見つけて欲しいと願う。